ひつじの絵をかいて!

いろいろ拗らせた本の虫女子大生の独り言。すべては主観であり、個人的な意見です。

キャラクター小説かと思ったら違った話──雪舟えま『バージンパンケーキ国分寺』

 キャラクター小説というジャンルはご存知ですか?

 

ウィキ先生では「ライト文芸」として紹介されています。まだジャンルとしての歴史が浅いからか、様々な呼び名があるようです。

 

ライト文芸」というジャンルには明確な区分けが存在していないが以下のような特徴から「一般文芸とライトノベルの中間に位置する小説」と評されている

ライトノベルと同じく表紙にイラストを採用している作品が多く[2]、一般文芸と異なり表紙、出版社の公式サイト、店頭POPなどにおいてイラストレータの名前もアピールされていることがある。さらに、作品によってはライトノベルのようにカラーイラストの口絵が付いているものも存在する。ただし、表紙のイラストはアニメ調が主流のライトノベルに対し、ライト文芸ではパステル調が主流となっている。内容はキャラクターを主体にした小説が多い。

Wikipedia 「ライト文芸」最終閲覧日 2019年3月30日https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E6%96%87%E8%8A%B8 )

 

 

ここ十年くらいにめきめきと育ったジャンルなのではないでしょうか。実写映画化もされた三上延さんの『ビブリア古書堂の事件手帖』や、太田紫織さんの『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』、浅葉なつさんの『神様の御用人』など、本が好きな人であれば、知っているタイトルも多いと思います。

 

正直に言うと、私はキャラクター小説があまり好みではありません。食わず嫌いではなく、実際に『ビブリア』シリーズは持っていますし読んだこともあります。

 

キャラクター小説は、何人かのメインキャラクターを軸に、各話ごとに新しい話が展開し収束して続いていきます。ものによってはシリーズを通してや、各巻を通しての謎も同時に展開していきます。イメージとしてはテレビドラマの警察モノや弁護士モノの構成です。物語というよりキャラクターがメインなので、漫画的な表面上わかりやすい(ツンデレ、シスコンなど)キャラクター設定のものが多い印象です。

 

ウィキ先生の引用にもあるように、キャラクター小説は「一般文芸とライトノベルの中間に位置する小説」です。ライトノベルほどかわいいヒロインは求められていませんし、異世界転生でもないのですが、良くも悪くも軽いものが多いように思います。軽いというのは、読みやすいということにも繋がりますが、同時に読者が望むもの、読者受けが良いものでもあります。結果、主人公の重い過去や葛藤などが省かれ、耳障りの良い話が歓迎される傾向にあると考えます。

また、読者受けに関してですが、『ビブリア古書堂』シリーズの栞子さんの胸の描写が男性的過ぎて私は引いてしまいました。男性読者には受けるのかもしれません。

 

要は、普段一般文芸を好んで読んでいる人間が、違うジャンルに手を出してみたらやっぱり駄目だったというだけの話です。

しかし厄介なのはキャラクター小説は身近にたくさんあるということ。タイトルだけ見て面白そうだ、と思ってもキャラクター小説であることもしばしば。また、最近は一般文芸も文庫などではアニメ調のイラストが表紙であることも多く、うっかりジャケ買いするのも難しくなりつつあります。(もちろんレーベルを見れば大体は分類できるのですが)

 

あと、一つ日常でしょんぼりしてしまうことがたまにあります。

「私、本好きで結構読むよ!」

と友達などに言われると、テンションが上がる本好きは多いのではないでしょうか。めったにいない同類がいた! と張り切って、

「本当? 私もめちゃめちゃ読むよ! 今はまってるのは綿矢りささんと江國香織さん、あ、宮部みゆきさんも昔から好き」

と返事をしても、

「うーん、ごめん、全部知らないや。私が今読んでるのは『ビブリア』シリーズとか、『珈琲店タレーランの事件簿』シリーズとか!」

と返されてしまうと、ちょこっとへこみます。「そっか」で会話は終了してしまうのです。お互いこれまで読んだ好きな本の話をしても、好きな作家の話をしても、一向にかみ合うことはありません。別に誰が悪いというわけではない、悲しいすれ違いです。

ライトノベル好きは、自らを「ラノベ好き」と称し、「小説好き」のカテゴリに入れることはなかなかないのではないかと思いますが、キャラクター小説は「キャラクター小説好き」というカテゴリが未だ成立していないのが、このすれ違いが生まれてしまう原因と考えられます。

 

キャラクター小説自体は何も悪くありません。むしろ、本を読む人が減っている今だからこそ、気軽に手に取ることができるキャラクター小説に出版社が競って参入していることも理解できますし、どんな形であれ読書人口が増えることは日本の出版業界にとって、そして私にとってもとてもいいことのはずです。

 

ただ悲しいかな、人間という生き物は嫌いなものに対してはまあたくさん語れるわけですね。好きなものに関しては「好き」「尊い」とボキャブラリーが貧困になりますが、嫌いなものについてはまあつらつらと書いてしまう。好きの反対は無関心とはよく言ったものだと思います。

 

さて、前置きが長くなりましたがタイトルに戻ります。

キャラクター小説が苦手な私が、どうしてキャラクター小説だと思った本を読んだかというと、本に飢えていたからです。二月に大きな海外旅行をしまして、口座はすっからかん、だけど本を読みたい。そんなときにいただいたのが雪舟えまさんの『バージンパンケーキ国分寺』でした。

「めっちゃ面白いから!読んで!」という感じではなく、「本読みたいの?よかったらあるからいる?」くらいのノリでいただいたので、読んで感想を言わなくてはというプレッシャーもなく、通勤電車で暇だから読むか、つまらなかったらやめればいいやくらいの気持ちで読み始めました。

表紙はパステルカラーに、柔らかいタッチではありますがキャラクターのイラスト。パンケーキ屋の話なのも、キャラクター小説めいていて(キャラクター小説には仕事を軸にしたものが多いイメージ)、本屋で出会ったのならまず手に取らないタイプの本です。

 

バージンパンケーキ国分寺 (集英社文庫)

バージンパンケーキ国分寺 (集英社文庫)

 

 

 

舞台は国分寺にあるパンケーキ屋。女主人のまぶが一人で営んでいる、なぜか曇りの日にしか店を出さないパンケーキ屋に、訪れた女子高生グループの一人、みほは度々パンケーキ屋に通うようになります。みほは、幼馴染の男の子と親友の女の子が付き合い始めて、二人にどう接していいのか悩んでいました。みほは最初は客として、働き始めてからはアルバイトとしてまぶや、常連の陽炎子と交流をしていきます。みほが最終的に出した答えとは?そして、バージンパンケーキとまぶとは一体──?

 

というストーリーです。

まず魅力なのがキャラクターの名前。「まぶ」「陽炎子」「明日太郎」「ロイリチカ」「リトフェット」という現実のようなそうでないような独特のネーミングセンスが、世界観を作り上げています。

雪舟えまさんの平仮名の多い独特の文体も、不思議で柔らかい世界観を作り出すのに一役買っています。「よゆう」「あいだ」「どうし」「おおくて」など、漢字で書いてもいいものが平仮名になっていたり、「あれ、この漢字前出てきたときは平仮名じゃなかった? 」と思わせるような絶妙なバランスと不安定な感じが、しあわせな夢の中のような独特の雰囲気の原因ではないでしょうか。

 

幼馴染ともこれまでのように仲良くしたい、でも親友とも仲良くしたい、そして思春期特有の恋愛への興味を抱えたみほが出した答えも秀逸。現実では考えられないことだけど、このやさしい世界なら可能かもしれないと思えました。

 

読後感は当たりな純文学を引き当てた時に似ていて、思わずガッツポーズしたくなりました。雪舟えまさんは歌人でもあるんですね。だから小説にはあまりない独特な世界観なのかと納得でした。雪舟さんも私の「ブルドーザーする作家リスト」(私は作家縛りで読んでいくタイプです。詳しくはラメルノエリキサの記事まで)に加入です。