ひつじの絵をかいて!

いろいろ拗らせた本の虫女子大生の独り言。すべては主観であり、個人的な意見です。

女の武器を使うことの是非の話――映画「バーレスク」

 残念なことに、日本はいまだ前時代的な男女差別の構造を抱えています。政治家や会社役員の男女比を見れば一目瞭然です。大学生である私も、これまでいたるところで社会に出たら女性は大変であるという話をされてきました。授業中の雑談で教授がぽろりとこぼした、「女性の皆さんは大学に行けているという段階で、まずあなたは相当に恵まれた環境で育ったということです」という言葉にびっくりしたこともありました。

 

そんな状況を打開すべく、女性の活躍、男女平等が謳われました。その結果、実情はそこまで追い付いていないにも関わらず「逆に今の状況は女尊男非である」と言い出すひともいるのだとか。

割り勘の問題も最たるものですよね。圧倒的な賃金格差を背景に、男性の方が支払いを多く持つことが当たり前だったのなら、未だ賃金格差が解消されていない状況では場合によっておごりでもいいのでは? と考えてしまいます。

私はまだ学生ですし、幸いなことにアルバイトの時給の差など高が知れたものなので、割り勘ウェルカム派ではありますが。

 

そんなTwitterでうっかりつぶやこうものならちょっと怖いミソジニストにロックオンされそうな話はさておき、今回は「女の武器」についてのお話です。

 

身体の、顔面の美しさは、時に「女の武器」となり得ます。映画などにもハニートラップや美貌によって富豪に見初められるシチュエーションはよく見かけますよね。

現実にも、女の武器の使い道はあります。日常生活を円滑にするためにも有効に利用ができそうですが、思いつきやすいのがストリップやキャバクラ、風俗関連など水商売でしょうか。

水商売では(内情を詳しくは知らないので推測にはなりますが)第一に重要視されるのは顔や体の美しさでしょう。学歴や資格などがなくても就職は可能ですし、美しさと対応力があれば、その辺のサラリーマンよりはるかに稼ぐことが可能です。

 

また、美貌で将来有望な男性を捕まえ、専業主婦になるというのも、ある意味女の武器を活用したものといえます。ピルを飲んでいると偽って子を身ごもり、結婚に持ち込むというのも、(やる人がいるかは別として)究極的な女の武器の使い方かもしれません。

 

さて、話は冒頭に戻ります。社会の男女平等を達成するためには、女性の進学率を上げて、男性と同じくらいバリバリ仕事をこなさなくてはなりません。「女だから甘く見てもらえるんだろう」という声を封じるためにも、媚びずに自立した女性であらねばなりません。

対して、女の武器を利用している側は、男性に媚びることで商売が成り立っています。これは、男性優位な社会だからこそ、何とか生き残りの道を探った女性たちの生存戦略の面も持っているからです。

 

どちらも、間違ってはいないのです。社会の現状に抗おうとする理想主義と、今ある状況に適応する現実主義なのですから。しかし、相反するがために分かり合うことは難しくなります。

バリキャリ側からしたら、男に媚びる女性は男女平等の足手まといに見えるかもしれません。「専業主婦になりたい!」という別の女性を見た男性に「女は専業主婦っていう逃げ道があるからいいよな」と言われて、腹の底から煮えくり返る思いをすることになります。

逆に、女の武器をうまく利用している側からすれば、バリキャリは男女平等という絵に描いた餅を追いかけているように見えるのではないでしょうか。

 

うーーん、理想は追い続けないと現実にならないし、大学まで進んでいるし、という理想主義の私と、利用できるものは利用して何が悪いの?という現実主義の私が常に内部でぶつかり合っている、私にとっても永遠の疑問でもありました。

 

そんな中で、観た映画が、こちら、「バーレスク」!!(突然)

 

 

 

 

アイオワの片田舎から歌手になる夢を追ってロスに来たアリは、職探しがうまくいかず途方に暮れていたところで、バーレスクというクラブを見つける。そのきらびやかな世界に魅了されたアリは自分を雇ってくれないかと持ち掛けるも断られ、無理やりウエイトレスとして籍を置く。ある日そんなアリにチャンスが訪れる。アリは経営難の店を救うきっかけになれるのか──?

 

というストーリー。ミュージカルという時点で好き確定なのですが、なんといっても歌がとっても良い!!キャラクターもみんな魅力的で(ショーンが好き)ガールズパワーあふれる、元気になれそうな映画でした。

 

そんなハッピーな映画なのに、またどうして冒頭が不穏なのというと、アリが勤め始める以前のバーレスクが、ストリップ顔負けのお色気ショーを売りにしていたからです。キャストの口パクにアリが言及すると、オーナーのテスはこう答えます。「うちのお客は歌を聞きに来ているんじゃないの」

バーレスクの女の子たちは、セクシーな衣装とダンスを前面に出し、まさに女の武器で勝負をしているのです。

また、このようなストーリーにつきものなのが、金持ちの男の存在。マーカスという富豪の男と、困っていたアリを住まわせてくれたバーテンダーのジャックの間で、アリは揺れ動きます。マーカスはバーレスクを買い取る話もテスに持ち掛けます。マーカスは芸能記者とも面識があり、大金持ち。バーレスクの危機も救ってくれて一石二鳥以上の男です。

この展開になった時点で、私は「ああ、これでマーカスに助けてもらったら、それはそれで物語は成立するけど残念だな」と思いました。アリの歌声はすばらしいですが、セクシーな格好でセクシーな歌を歌い踊るアリは、女の武器を使っています。ここでマーカスに丸め込まれて、幸せになりました、解決しました、では、その女の武器で戦い抜くのではなく、女の武器をもってしてでもかなわない、社会的地位の高い金持ちの男性が勝利してしまうことになるからです。

 

しかし、物語はそうは進みませんでした。ジャックとけんかしてマーカスの家に向かったアリは、置いてあった模型から、マーカスがバーレスクを買っても、お店は取り壊されて高層ビルにされてしまうことを知ります。そこでアリは絶望しているテスに話を持ち掛け、以前マーカスに聞いていた「空中権」を巧みに利用して、バーレスクの危機を乗り越え、バーテンダーのジャックと結ばれます。

 

この映画が示したのは、セクシーさなどの女の武器だけではなく、アリの歌声のような個性、スキルと、時には頭脳を駆使して華麗にしたたかに生きていけばよい、ということではないでしょうか。

バリキャリと女の武器を使う側は互いに反感を持つのではなく、たがいに協力して、時には一人の人の中に両方の側面を持ちながら、打開すべき社会の呪いに立ち向かえればいいと思いました。