ひつじの絵をかいて!

いろいろ拗らせた本の虫女子大生の独り言。すべては主観であり、個人的な意見です。

主人公としての資質の話──吉本ばなな『N・P』

こんにちは。いつも前置きが本編ですと言わんばかりに長くなってしまうので、今日はダイレクトに本の話に入ろうと思います。

 

吉本ばななさんの『N・P』を読みました。

 

N・P (角川文庫)

N・P (角川文庫)

 

 吉本さんがあとがきで

そしてこの作品には、今までの私の小説のテーマすべて(レズビアン、近親者との愛、テレパシーとシンパシー、オカルト、宗教 etc.) をできるかぎりこの少ない人数、小さな町内につぎこんだおかしな空間がつまっています。

 (吉本ばなな 『N・P』pp.223 1990 角川書店

と書いているように、ばななワールド全開のお話です。

 

主人公の風美は、高校生時代に庄司という翻訳家の男性と付き合っていたが、庄司はある男性作家の、父と娘の近親相姦がテーマである、98話目の短編小説の和訳を試みる最中に自殺をしてしまう。時は流れ、大学の研究室に務めるようになった風美は、男性作家の忘れ形見である男女の双子と出会う。ほど近いところに暮らしていることや、昔一度庄司とともに出席した出版社のパーティーで顔を合わせていたこともあり、親しく交流することになるが、やがて風美は98話目の深い業に巻き込まれていくことになる──というストーリー。

 

以下ネタバレになります。未読の方はご注意ください。

 

小説家の高瀬皿男とその忘れ形見である、双子の姉の咲と乙彦、そして98話目のモデルとなった腹違いの兄弟「萃」の人生はそれはそれはドラマティックなものです。

特に萃はとびぬけて数奇な運命を背負っています。放蕩気味の母親と高瀬氏の間に生まれた萃は、思春期のある時、実の父親である高瀬氏と関係を持ち、98話目の父と娘の近親相姦の話のモデルになります。その後、主人公の昔の恋人でもある庄司と付き合い、そして今現在は腹違いの兄弟である乙彦の6年来の恋人となっています。

 

実の娘と寝て、小説のモデルとした高瀬氏も、義理の姉と関係を持つ乙彦も、そんな身内を抱える咲も、98話目を当時交際していた萃に手渡され翻訳を試みるも自殺してしまう庄司も、一つの物語の主人公となり得る業を背負い、「物語」を生きています。

 

劇的な人生を送る登場人物の中で、ただ1人、個人として劇的ではない人物が、主人公である風美です。高校生と時に17も年上の庄司と付き合い、死別するという人生イベントはあっても、その他の人物の深い深い業に比べてしまえばパンチが足りず、また、風美も元恋人を亡くしたことについて劇的と感じてはいません。

 

風美は、それ個人としては決して主人公足り得ない人物ですが、人物関係を視野に入れれると、視界が一転します。

庄司という昔の恋人を萃と共有しており、咲と同じ大学内に務める親しい友人関係で、極めて独特な個性を持つ萃とも友人関係を構築します。乙彦とは咲や萃との関係もあり、つかず離れずな距離を保っています。

 

ラストで、乙彦の子を身ごもった萃は、風美に毒を飲ませ、心中(とはいっても風美を殺すつもりはなく、淋しくないように死ぬまで隣にいて欲しかった)を試みます。しかし風美は薬を盛られても、意識を保ち、萃の自殺を止めるに至ります。萃は風美や乙彦たちの前から姿を消し、手紙に「結婚を望んでくれる男性と一緒になる」と記します。

 

このひと夏の物語は、風美がいなくても、例えば乙彦や咲や萃が主人公になれば起こったことでしょう。しかしその場合は、確実に萃は死んでいました。もしくは、風美が作中で何度も心配しているように、乙彦と心中してしまったかもしれません。98話目いかかわった人々はみな自ら死を遂げるという呪いは、解けなかったかもしれません。

 

風美がかかわった場合の物語でも、萃は結局生きているのか死んでいるのかは、読者の想像に任せられると思います。しかし、「母親は失踪だからまだ希望を持ってしまう。いっそ死んだという方がはっきりする」と考えていた萃が、死ではなく、姿を消すことを選んだ、選べたということが、一人では主人公足り得ない風美の、主人公らしい一番の役割なのではないかと考えました。風美は、98話目の呪いを砕くことができたのです。

 

ちなみに私は手紙の文面から、萃は生きていると考えます。

 私は、乙彦の子を育てる。それは多分必死で。うまくいけばそのうち幼稚園にやったり、成人式をやったり。女の子だといいな。咲は研究を続ける。乙彦はやっと普通の頭に戻る。

 そして私は、ポストを見る度永久にあなたを思い出す。

 続いてゆくことばかりです。

 もうお会いすることもないかと存じます。

 どうぞお元気で。

 でも、いつかまた。 

 (吉本ばなな 『N・P』 pp.208-209 1990 角川書店

 

育児は、精神不安定な萃にとって、容易なことではないでしょう。時に、死んでしまいたくなることもあるかもしれません。あの時子供もろとも死んでしまわなかったことを後悔するかもしれません。しかし萃には風美がいます。そばにいなくても、ポストを見れば思い出す、ひと夏の奇妙な友人がいます。「ポストを見る度永久にあなたを思い出す」と手紙に書かれたら、風美も萃を忘れることはないでしょう。

 

同様に、劇的ではない人生を送っていたとしても、人間関係の上に物語があるのなら、私たちも日々人をすくい、許し、また許されている、登場人物なのかもしれません。(と、乱暴にまとめてみました)

以上、物語の主人公についてでした。